ケーテ・コルヴィッツの作品世界

ケーテ・コルヴィッツ(1867–1945)はケーニヒスブルク生まれの版画家で、クリンガーやムンクの影響を受け、銅版画やリトグラフで『織工の蜂起』『農民戦争』などを制作し名声を得ました。ベルリンの労働者街での生活や文学への傾倒を背景に、弱者の姿を描き続けます。二度の大戦で息子と孫を失い、ナチスの迫害を受けながらも反戦・反ファシズムの姿勢を貫き、1945年に亡くなりました。

 

 

 

ケーテ・コルヴィッツ年譜

1867年 東プロイセン ケーニヒスブルグに生まれる

1891年 医師カ―ルコルヴィッツと結婚

1892年 長男ハンス、96年二男ピーター誕生

1898年 連作『織工たちの蜂起』 1908年『農民戦争』

1914年 第1次大戦勃発 二男ピーター戦死

1920年 『カール・リープクネヒト追悼』 

1922年 連作『戦争』

1924年 『パンを!』『ドイツの子どもは飢えている』

1933年 ヒットラー首相に就任 ドイツ国連脱退 科学アカデミー退会

1936年 ゲシュタポから尋問を受ける  彫刻展作品撤去

1941年 作品による遺言『種を粉に挽いてはならない』

1943年 ベルリンの自宅空襲にて消失

1945年 モーリツブルグにて死去(享年77歳)

『カール・リープクネヒト追悼』

カール・リープクネヒト追悼(1919/20)
カール・リープクネヒト追悼(1919/20)

死者は英雄として横たわっているのではない。理不尽な死に追い込まれた無数の人々の代表なのだ。―その苦難を記憶し、二度とそのようなことはさせないと誓う人々を彼女はこの追悼像に深く刻んでいる。母親に抱かれた幼児は、大きく目を見張って、死者を見つめている。この人をけっして忘れず、どこまでも記憶にとどめようとするかのように、こどもの命に、死者の生命が伝わってゆく。

『飢えるドイツの子どもたち』『パンを!』

1921年4月連合国によって1320億マルクの賠償金を課せられたドイツは、信じられないほどにインフレーションが急激に進行し、翌22年の夏以降には、手の施しようが無くなる。コルヴィッツはこの時期飢餓救援ポスターの仕事を積極的に行っている。 国民は飢え、反ユダヤ主義が広がりはじめ、ユダヤ人商人の店の略奪が始まった。ミュンヘンではこの年「反ユダヤ主義」「ベルサイユ条約破棄」を唱えるヒットラーが台頭する。

飢えるドイツの子どもたち(1924)
飢えるドイツの子どもたち(1924)
パンを!(1924)
パンを!(1924)

『自画像』

自画像(1934)
自画像(1934)

1932年3月5日の総選挙に向けて国際社会主義闘争同盟はファシズムとの闘いを訴える「緊急アピール」をベルリンに張り出した。そこには「反ファシズムのあらゆる勢力が力を合わせなければ個人的・政治的自由は破壊されるだろう」と書かれていた。このアピールにアインシュタイン、ツヴァイク、ケストナーらと共にコルヴィッツも署名した。選挙の結果はナチスが勝利し、コルヴィッツ等は弾圧された。直後(1934年)に描かれたこの自画像は暗い未来を見つめ、しかし断固とした意思を感じさせる。

子どもを胸に抱いた母・第2ヴァージョン(1910年)
子どもを胸に抱いた母・第2ヴァージョン(1910年)
死んだ子ども(1925)
死んだ子ども(1925)

残された者たち(1923)
残された者たち(1923)