本サイトは、2026年3月31日で閉館した私設博物館「ひとミュージアム・上野誠版画館」の活動と資料を記録・紹介するデジタル・アーカイブです。
当館では、上野誠の作品約250点を収蔵していました。閉館に伴い、約200展を長野県立美術館へ寄贈しました。県立美術館で4月29日から始まる企画展「再編するーNAMコレクションの現在」で新所蔵の上野作品の一部が公開されます。

ひとミュージアム上野誠版画館
館長 田島隆
ひとミュージアム上野誠版画館は2001年4月に開館し、25周年を機に2026年3月31日で閉館することにしました。
美術館をつくろうと思ったのは、息子で版画家の上野遒さんから上野誠作品を寄贈された時からで、平和への願いを込めた貴重な美術作品を一人でも多くの方に見て欲しいという思いで美術館を建設しました。
それから25年の間、上野誠をはじめ多くの作品を展示しただけでなく、演奏会や講演会などの催しも企画してきました。しかし、私が高齢になり、体力気力の衰えが目立つようになったので開館25年を期して閉館することにしました。この間、上野遒さんをはじめ多くの皆様のご支援とご協力があったから続けられたと実感しています。本当にありがとうございました。
当館は上野誠とケーテ・コルヴィッツの版画を中心に展示し、平和を願う催しを企画してきました。館名の冒頭に「ひとミュージアム」とつけたのは、この美術館が「人と人の結びつき」や「人権尊重」が実現できることを願っていたからです。同時に「僕は強いものには ひかれない 弱いもの 温かいものにひかれる 強いものは 僕を弾き返すが 弱いものは 僕を抱き寄せる」という上野誠の言葉を大切にしてきました。展示や催しもこの願いや言葉に従うよう努力し、人と人との結びつきを大切にしてきたように思います。
美術館の活動を振り返ってみると、その内容は展示活動を大きく超えて、演奏会、講演会、シンポジウム、読書会、美術作品の制作、文化財保護、環境保護、書籍の制作、発行、教育活動、平和活動と広範囲に及びました。特に2025年、上野誠の念願でもあった反核平和の実現のため、川中島九条の会の尽力により「川中島町憲法九条の碑」を建立することが出来たことは大きな喜びです。
これらの活動をボランティアや事務局の皆様はじめ多くの皆様に支えられて行ってきました。美術館を閉館するにあたり、改めてご支援ご協力下さった皆様に深く感謝申し上げ、閉館のご挨拶といたします。
上野誠(1909~1980)は、長野市川中島生まれの版画家です。プロレタリア芸術を探求し、原爆をはじめとする社会的テーマを多く題材とし、海外でも高い評価を受けました。
※画像をクリックするとタイトルと制作年がご覧いただけます。

1909年(明治42年)
長野県更級郡川中島阿弥陀堂(川中島町今里)に父・内村直治、母・よりの三男として生まれる。父は阿弥陀堂にて漢方医を営んでいた。
1924年(大正13年)
長野県立長野中学校入学。在学中に美術教師山本俊治の指導による水彩画に熱中。
1929年(昭和4年)
東京美術学校図画師範科へ入学。夜間、津田青楓の私塾に通い、津田、安井曽太郎の指導を受ける。
1932年(昭和7年)
学内問題の改革を要求して開かれた学生大会に参加し、退学処分を受ける。
1933年(昭和8年)
鉄道工夫、土方などの労働の傍ら、北信濃の版画家と交流し、木版画制作を始める。
1936年(昭和11年)
上野チイと結婚。姓を上野と改める。チイは東京・湯島天神下にて「ルリ美容院」を経営していた。
1937年(昭和12年)
平塚運一の紹介で、中国人留学生劉峴と出会い、彼の勧めで内山書店より「ケーテ・コルヴィッツ版画選集ー魯迅編」を購入し、以後版画制作に決定的影響を受けることとなる。
1941年(昭和16年)
恩師山本俊治の後任として、鹿児島県指宿中学校教諭兼舎監となり、一家で転居。
1944年(昭和19年)
山本俊治の後任として岐阜県各務原川崎航空機青年学校の製図教師となる。
1945年(昭和20年)
妻子のみ川中島に疎開のため転居。ひそかにポツダム宣言の切り抜きを手帳に貼って戦争終結を待つ。12月新潟県の六日市町の七洋工芸社に入社。勤務の傍ら、六日町の農民や労働者をモチーフに木版画制作を再会。
1948年(昭和23年)
日本美術界会員となる。日本美術会会員主催第一回アンデパンダン展に出品。以後継続出品。
1949年(昭和24年)
日本版画運動協会が創設され、会員になる。
1952年(昭和27年)
自作の版画『戦争はもういやです』をポスターにして丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」の移動展を組織。
1954年(昭和29年)
上野駅ガード下で原水爆全面禁止を訴えている広島の被爆者と出会い衝撃を受ける。この経験は広島・長崎の作品制作の原点となる。
1958年(昭和33年)
日本版画協会会員となる。
1959年(昭和34年)
ライプチヒ世界平和運動十周年記念版画展に「ヒロシマ三部作」を出品、金賞受賞。
1961年(昭和36年)
長崎原爆病院を訪問し、被爆体験に耳を傾け、強い衝撃と感銘を受ける。
1963年(昭和39年)
千葉県流山市松ヶ丘に仕事場をつくり転居。ユーゴスラヴィアにおける日本版画協会展に出品。
1967年(昭和43年)
東独「ケーテ・コルヴィッツ生誕百年記念国際版画展」で優秀賞(「生き残る」)
1970年(昭和45年)
「長崎の原爆」(平和委員会刊)刊行。ユーゴスラヴィアで「国連発足25周年記念切手」のデザインに「希望」が採用される。
1980年(昭和55年)
4月13日、千葉県松戸市にて死去。享年70歳
1986年(昭和61年)
郷里長野市にて「上野誠木版画展」開催。
1998年(平成10年)
神奈川県立近代美術館にて「上野誠木版画展開催」。
2001年(平成13年)
長野市川中島に「ひとミュージアム上野誠版画館」開館。
2026年(令和8年)
「ひとミュージアム上野誠版画館」閉館。
上野誠の息子、上野遒さんの講演録です。父・上野誠の生き方や作品への想い、版画家としての自身の歩みなどを語りました。ひとミュージアム上野誠版画館の歴史を知る上でも貴重な資料です。
上野 遒 略歴
1939年 東京に生まれる。
1964年 東京藝術大学絵画科油画専攻卒業
主な個展
2008年 木版画展(ギャルリヴァイヴァン・東京)
木版画展ー日々のかけらと隣人たちー(南魚沼市立今泉博物館)
2007年 展ー内なる隣人たちのバラード(四郷版画館・四日市市)
木版画展(ギャラリー夢松洞・鎌倉)
2003年 木版画展(アルゼンチン国立版美術展・ブエノスアイレス)
2002年 展(佐喜真美術館・沖縄県宜野湾市
1998年 現代日本版画展「花の肖像」刊行記念展(ギャルリヴァイヴァン・東京)
1995年 画文集「噂話・野村家周辺」刊行記念展(形象社ギャラリー・東京)
主な国際展
2005年 5th Egyptian International Print Triennale(Egypt・Cairo)
2000年 台湾日本現代版画交流展(台湾ー日本)
1996年 現代日本版画展(Argentina・Buenos Aires)
1995年 アジア国際版画展
著書
1984年 画文集「噂話・野村家周辺」(形象社)
1981年 技法社「木版画 初歩の初歩」(日本文芸社)
所属 社団法人日本版画協会
ひとミュージアム上野誠版画館では、上野誠が決定的影響を受けたケーテ・コルヴィッツの作品も19点、常設展示していました。この19点は長野県立美術館に寄贈しました。
ケーテ・シュミット・コルヴィッツ(ドイツ語: Käthe Schmidt Kollwitz, 1867年~1945年)は、ドイツの版画家、彫刻家です。周囲にいた貧しい人々の生活や労働を描いたほか、母として・女性としての苦闘を数多くの作品に残しました。ドイツ帝国、ヴァイマル共和国、ナチス・ドイツという揺れ動く時代を生きた、20世紀前半のドイツを代表する芸術家の一人です。
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長野市川中島町今井穂刈市道交差点角に建設し、2025年3月9日に除幕式が行われました。